みなさんこんにちは、ルチエンです( ^∀^)
お待たせしました。さてシャオドンの人生記事の後編になります(・ω・)前回顔は草食イケメン中身はゲスのランファンと別れたシャオドンでしたが、故郷の上海に戻ります。というのも友達の姚玉蘭(ヤオ・ユーラン)の夫である杜月笙(デュー・ユエシェン)から上海の舞台に上がらないかとお誘いがあったからですね。そしてやはり大成功( ^∀^)
ちなみにユーランはユエシェンの四番目の妻でして、ユエシェンは上海マフィアのボスです!(◎_◎;) シャオドンより20歳年上です。ユーランも女優です。
前編のURLはこちらです(・ω・) https://ruchien.hatenablog.com/entry/2019/05/28/193012
しかし時は1937年、軍靴の足音が迫ってきます、日中戦争が勃発しました!(◎_◎;)
ユエシェンはイギリス領の香港に逃げシャオドンは北京に避難します。そしてシャオドンは戦火の中でもひたすら京劇の修練に打ち込みました。著名な学者に直々にお願いして指導まで受けてますね。戦乱の時代でも決して稽古を怠らないとはまさに役者の鏡です(・ω・)しかし戦争は一向に終わる気配はなく。。。
はいご存知の通り第二次世界大戦は1945年に終結しました。そしてユエシェンが香港から上海に帰ってきます。そしてなんと北京にいるシャオドンに何度もラブレターを送りました!(◎_◎;)妻の友人を口説くとはさすがボスは器が違います。そしてシャオドンは感激、上海に戻りユエシェンと感動の再会です。しかしそうなると友人のユーランとの間におそらく泥沼の争いが生じたでしょうね。。。(・ω・)
ちなみにこの時まだ中国大陸では戦争は終わってないです。蒋介石率いる中華民国と毛沢東率いる中国共産党が争ってますので(・ω・)
そして1947年ユエシェン60歳シャオドン40歳の時に再びシャオドンは舞台にたち渾身の力を込めて歌います。ユエシェンのためでしょうね(・ω・) 再び大成功、もはや舞台の女神シャオドン( ^∀^)
しかしユエシェンは中国共産党の支配を嫌ったのか、再びイギリス領香港に行きます。しかしこの時すでに体は病魔に蝕まれていました。そんなユエシェンをシャオドンがほっとくわけありませんね。ユエシェンと一緒に香港に逃亡します!(◎_◎;)
そして香港逃亡後の1950年ユエシェンは周囲の反対を押し切りシャオドンとついに結婚します。ユエシェン63歳シャオドン43歳でした。
しかし翌年の1951年にユエシェンはこの世を去りました。。。。(;ω;)
ユエシェンはシャオドンにかなりの遺産を残してました。そしてシャオドンはこれ以降完全に舞台から去ることにしました。稀代の大女優がついに役者人生に終止符を打ったのです。そして1967年に台湾へ移住します。何とユーランが招待したみたいです!(◎_◎;)女同士の友情は複雑です(・ω・)
まさに女優として魂を燃やしたシャオドンです。シャオドンは台北市の墓地に葬られました。中華人民共和国成立後はついに故郷の上海に戻ることはなかったのですね。。。
出典はこちらになります。
https://view.inews.qq.com/a/20190527A01DLR00?uid=100063976207&chlid=mine_favourite
以上第108回目の投稿です。ありがとうございました( ^∀^)
それではまた
再见( ^∀^)